文化・芸術

京都新聞社

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 速いもので、またチャリティー美術展の寄贈依頼が来た。 絵描きにはこれくらいしか出来ないのでまた寄贈致します。

時井桂子

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知人の画家 時井女史の個展。30年近くご無沙汰しているが毎回個展の折に案内が来るが出不精の僕は行った事が無い。ごめんなさい!
案内状が来ると、やはり昔の事が思い出される・・・・あの時はお互いに若かったな~芸術運動に燃えていたな~K先生の事も思い出す。

世界の美術館

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「世界の美術館」DVDを見ている。このDVDは素晴らしい。綺麗な画像にクラシックのBGM。解かりやすいナレーション。 価値あるDVDだ。
45インチとかの大画面で見るとなおさらだろう。
一巻が60分と時間的にも丁度良い。ワンボックスに二巻ずつ収納。全18巻。

世界の美術館

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不滅の世界の至宝がここに再現!
7年の歳月と10億円をかけた
「世界の美術館」究極のDVD大全集!
定価280、000円
中古ですがオークションで 7000円で落札した。暫く楽しめそうだ。

初釜

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 数日前 家内の社中初釜 新大久保益田屋にて

セザンヌ

多くの画家に影響を与えた後期印象派のポールセザンヌ。
「自然を円筒円錐によって扱い、全てを遠近法の中に入れ、物やプラン(平面)の各側面が一つの中心点に向かって集中するようにすることです」と言っている。
直線で出来ている人工物は人間には理解しやすく描きやすいが、自然は難しい。

観察

僕が絵を描くときスラスラと描けると思っているでしょうが、初めての物は最初から捉えることは難しく何度も修正をして形を掴んでいく。一度掴んでしまうと次からは簡単に描くことが出来る。一度描いたものは覚えてしまうこと。
 皆さんの描き方を見ていると多くの人は観察しないで見たものをそのまま描いているのだ。
 例えば丸いものを描いているがその大きさを適当に描いている。どの距離にあるのか、横の物と比べて上なのか、下なのか、隣の物より大きいのか、小さいのかということが大事で、ただの○だったら誰でも描けるのだ。○い物を見るのではなくその周りを観察すれば必然的に○の大きさが見えてくる。
 
 よく人より小さい車を描く人がいるが、それは車と人とを別々に見ているからで観察力が欠如しているのだ。車や人を克明に描こうとするからの過ちなのだ。車や人は大まかでいいからその位置関係をよく見つめて欲しい。人は車の側にいるのか、車の後ろにいるのか・・・・。

 十代のころ研究所で初めての裸婦デッサンをした時はとても人に覗かれるのが恥ずかしいようなものを描いてしまった。何日も通ううちにやっと形が取れるようになり、人体の構成も少し分かりだした。そのうち何処でも裸婦は自信を持って描けるようになり、それを壊して作品に出来るようになった。
 いわゆるデフォルメなのだが絵画にデフォルメは絶対に必要だと思っている。
 写真のような絵以外は全てデフォルメされていると言っていいのだ。それは完璧に描けるからできることで、以前述べたことがある下手と抽象は違うのだ。観察しつくして抽象は描けるのだ。
 ちょこっと見ただけで絵は描けないのだ。それは単に写しているに過ぎないのだ。
 
観察の始まりは線にあると思う。その線は水平か傾斜しているか・・これがとても難しいらしく、水平に見えてしまうのだ。その傾斜の線だけしか見ていないからそうなるので隣の線や縦の線と比べれば分かることなのだ。とは言っても初心者には基礎デッサンを経ていないので着きっきりで指導しないとなかなか理解できないだろう。

本質を見る

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マチスの絵 この絵が好きか嫌いかは別として、写実絵画が絵だと思っている人には何だか・・・と思う人が多いと思うが、極端に言えば目で見ているからでしょう。どういう事かというと目で表面しか見えていないからです。装飾品や生活に関わる物品などは表面さえ見えれば事足りるが芸術品はその作品の本質を見ないと分からない。眼から入力した情報が脳で分析して心で感じる。といっても感性が作者に近い状況にないと理解は難しい。特に絵画は心眼で見ないと理解できない事が多い。美術鑑定家は表面よりも雰囲気や第六感で見るようだ。表面だけ見ていると騙されるからだ。

サルバトール・ムンディ

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Dims
 
ダビンチの「サルバトールムンディ」が508億円で落札されたそうだが・・・本物?
長い間贋作とされていたこの絵は本物か? 鼻の描き方こだわりすぎているような!!
モナリザと見比べるとそっくりですね。眼鼻立ち、胸元 逆にそっくりすぎて何だか不思議な感じがする。

大谷幸一先生

巨匠林武の弟子と言っていた大谷先生。林先生に会いに行く時はベレー帽に一張羅のジャケットといういで立ちだった。そして林先生から頂いたと言ってご祝儀袋を嬉しそうに見せてくれた。
大谷先生は独身で年老いた母親の面倒をみながら絵を描き、いつか美術の会を創るのが夢だった。そのため絵を描く仲間を集め小さなグループを持ってた。二十歳の頃上野でスケッチしていた僕に声を掛けて下さり、先生の夢実現のためのお手伝いをさせてもらった事もあった。
ある日先生のアトリエに泊めて頂いた時、僕がまだ寝ているのにもう床を雑巾がけしているのだ。僕は自分のアトリエを掃除した事がなかったのに・・・。普段はよれよれの、決して綺麗とはいえない服を着ていたので、そんな先生の姿を見た時は不思議な気がした。
その先生が『新日本美術会』を旗揚げした第一回展に林先生から頂いたご祝儀が会場の花束の前にいつまでも飾られていた。よほど嬉しかったのだと思う。
その後は僕も社会人となり先生とは疎遠になってしまい、先生の名前を聞く事もなくなったが、若かった僕に「生の絵描きの世界」を垣間見させてくれた事を感謝している。絵の技法などは教わらなかったけど、先生の近いところにいる事が楽しかった。性格と反して強い絵を描かれていたが紫と黄色のスミレの絵がいまだに印象に残っている。僕の最初の師、大谷幸一先生。
 

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